日本の食文化

2024-08-11

日本の食文化(精选7篇)

日本の食文化 篇1

日本社会与文化期末论文

日本の食文化

姓名:张晓

学号:20110203331 学院:新闻传播学院

人们常说,饮食是文化的基石,是民族特性的象征。饮食结构体现了民族的文化水平、宗教信仰、地理环境、经济体制等。日本菜发展至今已有三千多年的历史。据考证,日本料理借鉴了一些中国菜肴传统的制作方法并使之本土化,其后西洋菜也逐渐渗入日本,使日本料理从传统的生、蒸、煮、炸、烤、煎等基础上逐渐形成了今天的日本菜系。日本料理即“和食”,主食以米饭、面条为主,副食多为新鲜鱼虾等海产,常配以日本酒。和食中最有代表性的是刺身、寿司、天妇罗、火锅、石烧等。比较有名的料理有:怀石料理、卓袱料理、茶会料理、修行料理、本膳料理等 日本料理特色:

清淡、不油腻、精致、营养、着重视觉、味觉与器皿之搭配,是为日本料理的特色。

因为日本是岛国,加之资源缺乏,又无接壤之领国,这一自然环境使其危机意识浓重,总怕遇有什么天灾人祸难以度过,使日本民族灭绝。为此日本尽量不用或少用油烹制菜肴,久而久之发展为以清淡新鲜为主流的日本菜肴。

日本受儒教思想影响较大,特别是“和为贵”的思想根深蒂固。日本人崇敬的圣德太子就极为重视“和”,在他主持制定的十七条宪法中第一句话就是“和为贵”。有鉴于此,日本人对屠宰大的牲畜食用,以为不仁。加之日本平原少,牲畜难于饲养,日本人很少食用牛羊肉。

中国菜讲究“色、香、味”,日本菜讲究“色、形、味”。变了一个“形”字,日本饮食文化的特征就出来了。日本菜肴虽不讲究吃出什么滋味,但很注重“形”,所以说日本菜肴是用眼睛吃的。这种比喻形象地道出了日本料理的特点。日本菜首先吸引人的就是它清爽的颜色和独特的造型:用鲜嫩的蔬菜和肥美的海鲜制成的各式各样的精巧食品,保持着原料天然的色彩,每一款都像一件精巧的艺术品,让人久看不厌,迟迟不忍动口。用餐方式:

用餐前后 :日本人在用餐之前及之后都要高声表达两种感受,用餐前要说 “Itadakimasi!”,意思是欣赏这顿饭食;用餐后要说 “Go-chiso-samadeshita!”,意思是感谢款客者预备这顿极美味的饭食。

用餐期间 :日本人的一餐饭食包括一碗饭、一碗味增汤、两道或三道菜肴,配菜越多,那顿饭便越够体面,若有数道菜肴端上餐桌,已令客人颇难选择先品尝那一道。用餐的正确次序是先喝小口热汤,后吃那道菜也可,但不要只集中吃光同一道菜肴,应顺序循环吃每道菜肴,使各份比例均等,才可同一时间吃光所有菜肴。

用餐方式: 日本人的用餐礼仪似乎严厉,但日本人容许狼吞虎咽式吃法,这吃法甚至令其他国家的人感到惊讶。例如吃寿司,日本人习惯赤手拿著寿司浸一浸豉油,然后直接放入口中,他们不会用筷子吃寿司;又例如吃面,日本人直接从汤碗把面吸啜入口,且必会发出响声,依据日本人的习俗文化,吃面时发出响声是表示面食很美味,亦是对厨师表示赞赏的方式。日本社会与文化期末论文

日本人的饮食习惯

日本人养成了清洁卫生的饮食习惯,在家吃饭一般实行分餐。经常吃海产品、豆腐、酱汤等传统食品,加上西方的牛奶、酸奶等,搭配蔬菜,保持了膳食的平衡。吃生鱼片用的佐料日本芥末(天葵),像中国的大蒜一样,具有强烈的杀菌作用。日本大力提倡减盐运动,配合药物治疗。日本人的三餐大体可归纳如下:

一、早餐:普通的日式早餐通常是,一个鸡蛋,一碗米饭,1块烤鱼或火腿肠,一盘蔬菜与水果,一小碟咸菜,一碗酱汤。当然也有一部分人,尤其是年轻人,习惯于西式早餐,往往是一片面包涂上黄油或果酱,一杯牛奶或果汁、咖啡。

二、午餐:多为快餐,如拉面;咖哩饭;盒饭;面包加牛奶/咖啡。

三、晚餐:一碗米饭,豆腐,天妇罗,海虾,生蔬菜,啤酒或清酒,餐后水果,酸奶,茶。日本四大料理:

1、怀石料理

怀石料理,最早是从日本寺庙的寺庙中传出来,有一批修行中的僧人,在戒规下清心少食,吃得十分简单清淡,但却有些饥饿难耐,于是想到将温暖的石头抱在怀中,以抵挡些许饥饿感,因此有了“怀石”的名称。演变到后来,怀石料理将最初简单清淡、追求食物原味精髓的精神传了下来,发展出一套精致讲究的用餐规矩,从器皿到摆盘都充满禅意及气氛。

怀石料理的“不以香气诱人,更以神思为境”,更加体现了日本料理的美轮美奂。

日本料理注重新鲜,其中更以怀石料理为上乘。其每一道菜都是在客人点餐后,才开始现制作的,更加体现了其料理的新鲜度和口感,因为是现制作,所以客人在点餐后一般需要等上一段时间(通常情况下,点餐后到第一道菜的上菜时间是10--15分钟;每类菜之间的过渡时间是5--10分钟)。因此,客人在等餐时需要保持平静的心态,勿以烦躁之心进食而败坏了怀石料理的神思之境。

由于怀石料理沿袭禅宗思想发展而成,也因此得来“净心料理”之美谓。

2、卓袱料理

中国式料理,其特色是客人围着一张桌子,坐的是靠背椅子,所有饭菜放在一张桌子上。这种料理是起源于中国古代的佛门素食,由隐元禅师作为「普茶料理」(即以茶代酒的料理)加以发扬。由于盛行于长崎,故又称「长崎料理」。料理师在佛门素食内采用了当地产的水产肉类,便创立了卓袱料理。

卓袱料理菜式中主要有:鱼翅清汤、茶、大盘、中盘、小菜、炖品、年糕小豆汤和水果。小菜又分为五菜、七菜、九菜,以七菜居多。一开始就先把小菜全部放在桌子上,一边进食,一边将鱼翅清汤及其它菜肴摆上桌。

3、茶会料理

室町时代(十四世纪)盛行茶道,於是出现了茶宴“茶会料理”。初开始茶会料理只是茶道的点缀,十分简单。到了室町末期,变得非常豪华奢侈。其后,茶道创始人千利休又恢复了茶会料理原来清淡素朴的面目。茶会料理尽量在场地和人工方面节约,主食只用三器──饭碗、汤碗和小碟子。间中还有汤、梅干、水果,有时还会送上二、三味山珍海味,最后是茶。

4、本膳料理

属红白喜事所用的议式料理。一般分三菜一汤、五菜二汤、七菜三汤。烹调时注重色、香、味的调和。亦会做成一定图形,以示吉利。用膳时也讲究规矩,日本社会与文化期末论文

例如:用左手拿着左边的碗,用右手把盖放左边。反之则用右手揭盖。先用双手捧起饭碗,放下右手,右手拿筷。每吃两口饭,就要放一下碗,然后双手捧起汤碗,喝两口再放下碗。之后一样方式,喫两口饭再夹一次菜。

源自室町时代(约十四世纪),是日本理法制度下的产物。现在正式的「本膳料理」已不多见,大约只出现在少数的正式场合,如婚丧喜庆、成年仪式及祭典宴会上,菜色由五菜二汤到七菜三汤不等。

寿司:

寿司是在饭里放醋做主材料的日本料理,寿司和其他日本料理一样,色彩非常鲜明。制作时,把新鲜的海胆黄,鲍鱼,牡丹虾,扇贝,鲑鱼籽,鳕鱼鱼白,金枪鱼,三文鱼等海鲜切成片放在雪白香糯的饭团上,一揉一捏之后再抹上鲜绿的芥末酱,最后放到古色古香的瓷盘中„„如此的色彩组合,是真正的“秀色可餐”。吃寿司,讲究的是食用的完整,就是整块寿司要一口吃下,唯其如此,才能真正的品味出寿司的美味,寿司的饭香与生鱼片的香味才能完全相融,将齿颊间填得满满,不留一丝缝隙,那浓香的滋味无处可逃,在口中久久徘徊,一波三折。

早在公元前3至4世纪,中国就有寿司的记载,《尔雅.释器》,其中记载“肉谓之羹,鱼谓之鮨。”鮨,就是寿司。寿司的另一写法“鲊”出现在五百多年后,公元2世纪中国汉朝刘熙的《释名.卷二.释饮食第十三》中。

后来寿司随汉字一同流传到日本,鮨、鲊两字已混为一谈,成为日本人中的寿司,在外邦发扬光大,中国却在明朝时从菜谱中消失。

一千八百多年前(即后汉年代),寿司已在中国流传,至公元700年寿司开始传入日本。当时是一些商旅,用醋腌制饭团,再加上海产或肉类,压成一小块,作为沿途的食粮,后来广泛地流传日本,当时的配料更用上各种剌身,并名为“江户散鮨”亦称“握鮨”,即是现今最受欢迎的寿司。

寿司“SUSHI”、“酸”即是酸腌制的食物。公元700年,即奈良年代,当时的日本人,用一些醋腌制过的饭团,加上一些海产或肉类,压成一小块,整齐地排列在一个小木箱之内,作为沿途的食粮。直到公元1700年,即江户年间,寿司才于日本广泛流传,经久不衰,成为一种普通美味的食品。并受到人们的欢迎。

最早的寿司是用米饭生鱼和酱汁做成的一口就可以吃掉的小型食品,现在的寿司则很多种,可以放一大堆东西,不过必须是一口可以吃掉的。日本寿司在公元九二七年完成的平安时代法典「延喜式」中,就己有记载。当时的寿司指的是一种保存鱼的方式。在鱼身上抹上盐,用重物压紧,使之自然发酵。当产生酸味后,即可食用,其味甚佳。这种方式起源于日本本土。这种方式费时费力,不久便发 展成干脆用醋泡鱼肉的方式。现在,所谓寿司则是指凡是在拌过醋的饭内加进其他馅的食物。现在的日本寿司,除「握鮨」外(即现在我们常吃到的寿司),还有「卷鮨」与「箱寿司」。「卷鮨」是把饭、小黄瓜、鲔鱼、鸡蛋与腌萝卜等用紫菜包着,此外可分为大卷与细卷,即大小之分。寿司卷通常一根用米九十克,煮成饭大约二百克,用紫菜包后食用。有时也可用薄炒蛋皮替代紫菜。用一整张紫菜 包的寿司卷叫「太卷」(即粗卷),只用半张包的就叫「细卷」。寿司卷里一般夹煮过的甜寒天,黄瓜,香肠,蘑菇,炒蛋皮,鱼松或鸭儿芹。

刺身: 日本社会与文化期末论文

刺身(“さしみ”,日语音“沙西米”,即生鱼片),是日本料理的著名菜式。刺身,就是将新鲜的鱼、贝肉或牛肉等,依照适当的刀法切成,享用时佐以酱油与山葵泥(日语音“瓦沙比”,即芥末)调和之沾酱的一种菜式。以前,日本北海道渔民在供应生鱼片时,由于去皮后的鱼片不易辨清种类,故经常会取一些鱼皮,再用竹签刺在鱼片上,以方便大家识别。这刺在鱼片上的竹签和鱼皮,当初被称作“刺身”,后来虽然不用这种方法了,但“刺身”这个叫法仍被保留下来。刺身是日本料理中最具特色的美食。

据记载,公元14世纪时,日本人吃刺身便已经成为时尚,那时的人用“脍”字来概括刺身和类似刺身的食品。当时的“脍”是指生的鱼丝和肉丝,也可指醋泡的鱼丝和肉丝,而那时刺身只是“脍”的一种烹调技法。直到15世纪,酱油传入日本并被广泛使用以后,刺身才逐渐演变成现在的格式。

刺身至少在十四世纪末已经产生,并已相当流行。最早使用“脍”(namasu,也作鱼会)字来概括刺身和类似食品。“脍”是指生的鱼丝、肉丝,也可指醋泡的鱼丝、肉丝。而sashimi(刺身)在那时只是指“脍”的一种烹调技法。只是到了酱油传入日本并广泛使用后,“刺身”(sashimi)才发展成指称类似目前刺身的名称。

面食料理:

日本的面条主要有切面、荞麦面条、龙须面条以及拉面等。另外,日本全国各个地方有代表性具有特色的面条——山梨县的地方菜“甲州名产面条”、秋田县的“稻庭面条”、香川县的“赞岐面条”、冲绳地方的“冲绳面条”等。1.荞麦面

荞麦面(日语:そば soba 或 荞麦切り sobagiri)是一种日式食物,类似中国的饸饹,是用荞麦面粉和水,和成面团压平后切制的细面条,煮熟食用。七成荞麦面粉和三成小麦面粉混合而制的叫“七割荞麦”(“七割”是日语“七成”的意思),口感较滑嫩,只用荞麦面的叫“十割荞麦”或“生荞麦”,香味较强。食用时加上各式不同的佐料,如热吃的汤面可用柴鱼片、海带、酱油、清酒等浇制的汤和葱花、七味粉等,凉式面或拌面,用比热吃时较浓的酱汁,加上葱花、山葵糊、生鹌鹑蛋、紫菜丝等。也可以配上许多不同的菜,如天妇罗、红烧油炸豆腐、生鸡蛋、萝卜泥等等。比较特殊的也有紫菜卷、咖喱荞麦面条等不同风味的食品。

在日本,除了正式面馆以外,在火车站站台等也有供应荞麦面条的小面摊,也有干面和保丽龙杯装的方便面条出售,可以在许多种不同的场合吃到荞麦面条。比较特别的场合,如年底过年时吃荞麦面条、祝长寿、搬家到新房子时向邻居送荞麦挂面等,也离不开荞麦面条 2.拉面

拉面本来是中国的一道美食,据说日本的中华街的中餐馆是日式拉面的发祥地。为了适合日本人的口味,逐渐用本来没有使用的干鲣鱼和海带等材料做汤,诞生日本独自的拉面。作为地方特色的有代表性的拉面是札幌拉面、喜多方拉面、京都拉面、东京拉面、博多拉面等。喜欢吃拉面的人很多,为了只吃拉面从远方特意去各个地方的人也不少。3.乌冬面

乌冬面是最具日本特色的面条之一,是日本料理店不可或缺的主角。乌冬面是用盐水来活的面,促使面团内快速形成面筋,然后擀成一张大饼,再把大饼迭日本社会与文化期末论文

起来用刀切成面条。其口感介于切面和米粉之间,口感偏软,再配上精心调制的汤料,就成了一道可口的面食。最经典的日本乌冬面做法,离不了牛肉和高汤,面条滑软,酱汤浓郁。

日本饮食五大禁忌: 1.招待客人用膳时,不能把饭盛得过满或带尖。当着客人的面不能一勺就将碗盛满,否则被视为对客人不尊重。2.用餐时,不能把筷子插在盛满饭的碗上。因在死者灵前的供桌上往往筷子摆成这种形式。

3.给客人盛饭时,禁忌把整锅饭一下分成一碗碗的份饭,因过去给囚犯盛饭时多采用这种方法。

4.作为客人就餐时,忌讳只食用一碗就说够了,第二碗饭即使是象征性的,也应要求添饭。因为只吃一碗则寓意无缘。

5.吃饭时禁忌敲饭碗,据说这是因为人们迷信敲碗声会招来饿鬼。使用餐具的注意事项:

1、持酒杯的方法(男女不同)

2、吃拉面要出声才代表好吃,但是吃怀石时,喝汤还是避免出声。

3、筷子横摆,不能正对他人。

4、不可用口去舔筷子

5、用餐完毕,要将筷袋入原来的纸套巾,摆回筷枕上。

从日本的饮食文化中,我们能够看到日本人的生活习惯于处世之道。生活在岛国,加之资源缺乏,又无接壤之领国,难以不被环境所影响,而自然清淡、营养、精致成为了日本料理的特征。同样日本人平均寿命的增长同此也并不是毫无关系,而在中国我们口味丰富的饮食习惯是否也应该少许借鉴一下日本呢?

日期:2012年5月26日

日本の食文化 篇2

一、日本人の曖昧表現

言語生活の中で、あるときに話し手が本音を表わしたいが、文化、環境、身分などの制限があるために、直接にそのことを表わせない、あるいは、話したくないことがある。このような思想と表現との矛盾で生じられた特殊な表現は曖昧表現である。

1.省略

日本人の会話には省略の話し方が頻繁に存在している。一般に皆が知っていることを省略し、冗長さのために不自然にならないように省略する。しかし、えんきょうく的に意味を表すために使用される場合もある。これはもっと微妙である。例えば

(1) 希望の意味を表す省略

遠足が一日の場合は土曜日、半日の場合は日曜日がいいんですが…

(第二册P.114)

ここでの助詞『が』は転換の意味を表わさなく、あとの内容をはっきりはなさない上に語気を緩やかにする働きを果たしている。

(2) 拒否の意味を表わす省略

うちは主人の都合でちょっと… (第四冊、P.84ペ一ジ)

以上の文には話し手は拒否の意味を表わしたいが、動詞を省略して、『無理だ』、『駄目』、『都合は悪い』などの意味を表わす。相手の気持を配慮しながらストレ一に人を拒否しないことにより人間関係の調和を保つことができる。

(3) 残念な感じを表わす

残念の意味を表わす場合はいつも『のに』を使って、『のに』に省略を加えて残念な意味がもっと強くなるでしょう。例えば

マスクをしないで出かけるの?行けばいいのに… (第四冊、P.94)

2.間接表現

日本人の曖昧表現のもう一つは間接表現である。発話の文字通りの意味とコンテクストによる意味が一致していない言語表現を間接表現と定義する。例えば、教室で先輩と後輩がいる。窓は閉まっている。先輩は『暑いですね』と言った。後輩はすぐ『わたしが開きます』と言ったあと、窓を開けた。この場合では典型的な間接表現である。

人の誘いと依頼を拒否するとき、間接表現の使用はもっと微妙である。例えば:

一緒に行かない 4時かなんだけど…

4時から… (第四冊、P.268)

3.その他

日本人はある時、丁寧な意味を表すために、ある固定的な慣用語を使用する。例えば、人を招待っして食事をする前に、主人はいつも『なにもありませんが、どうぞごゆっくり召し上がってください』あるいは『これはつまらないものですが…』という表現を使う。また, 王さんは刘さんにお土産をあげるばあいは, 王さんはいつも『お粗末ですが、どうぞ受け取ってください。』と言った。この二つの例は話し手の謙遜を一層表現する。

要するに、日本人の曖昧表現は含蓄で、微妙である。曖昧表現を通じて、日本人の独特の性格と考え方が窺える。日常のコミュニケ一ションにおいて、日本語学習者は必ず曖昧表現を把握しなければならない。

二、日本人のコミュニケ一ションにおける文化の要素

言語は文化の一部分であり、社会と文化と密接な関係を持っている。人々はコミュニケ一ションこをするときの言語行動は文化によって大きな影響を受けていることになる。従って、生のコミュニケ一ションを使い曖昧と敬語などの言語行動を考察することで、この言語を話す文化的要素が窺われる。

1.日本の『和』と『礼』の文化

『和』の文化が日本に根深く存在している。圣德太子は十七条憲法は第一条に『和を以て貴しと為す』と明記した。争いを避けること、対立を顕在化させないことは古くから日本社会で重視された。『和』の思想と一致しているは『礼』の思想である。礼に則った人間関係、位置関係も和の思想の原点に戻る。礼は人間関係にの潤滑油として、人間関係の心を形にしたものと考えてよいであろう。基本的には如何に相手を慮るかの気遣いから始まる。。日常生活のコミュニケ一ションにおいて、日本人は曖昧表現の使用頻度が高いという理由はこの『和』と『礼』の思想を重んじているからである。

2.日本の『集団主義』

昔から日本人は強い集団主義を持っている。日本の集団ははっきりした共同意識をもつ厳密な共同体として築きあげられた、共同体の中で、個人は集団との衝突を避けるたまに、いつも個人の行動を押さえて、集団全体の利益を考慮する必要がある。その結果、日本人は他人との付き合っているとき、できる限り衝突を回避しようとして、よく曖昧の言葉を使う。それに、そういう集団主義にの中で、日本人に『ウチ』と『ソト』という考えが生まれる。相手との社会関係によって曖昧語の言葉づかいも違っている。

曖昧表現は日本人の普通の心理の反応であり、日本文化の典型であり、日本人のコミュニケ一ション方式の代表である。言語は文化とともに生まれて、文化のキャリア一と交流の工具である。日本語学習者にとって、日本文化の学習は不可欠である。日本語教育者にとって異文化の教育何よりも重大な責任であり、日本語学習者の最終の目標である。

参考文献

[1]彭广路.守屋三千代.综合日语第二册.北京大学出版社, 2005.

[2]彭广路.守屋三千代.综合日语第三册.北京大学出版社, 2005.

[3]彭广路.守屋三千代.综合日语第四册.北京大学出版社, 2006.

[4]张升余.『日语教学论文集日本語の会話における曖昧表現について』陕西人民出版社, 2001.

日本人の数字観 篇3

【キーワード】数字観 奇数文化 好き嫌い 開放性

一、初めに

世界の言語と同じように、数字という文字も中日両国の言語の中に存在している。中日は一衣帯水の隣国で、地理位置は近いというものの、人々の数字観が大変違う。以下は「多い」と「少ない」、吉と忌、奇数と偶数「好き嫌い」の原則という四つの方面から研究する。日中数字観の異同から日本人の特有の数字観を把握したい。

二、「多い」と「少ない」

古代から、各民族は「多い」と「少ない」についての言葉がたくさんある。その中で、中日は特に数字を用いて、「多い」と「少ない」の意味を表す。しかも、中日のこういう習慣には、少なくとも違うところがある。

「一は二より少ない、五は三より多い」、これらのものは数学中の概念であり、実際の数を表示している。しかも、言語の中では数字は全部そんな明確的ではなく、多くの場合では、数学は不明確でぼんやりとした概念を表している。

中国語では、「三」は「多い」の意味で、古文や成語の中でよく使われる。例えば「三思而后行(よく考えてから行動する)」、「举一反三(一を聞いて三を知る)」、「事不过三(三度目の正直)」などである。人類の進歩につれて、三の倍数も「多い」という意味となった。例えば、「三头六臂(三つの頭と六本の腕がある)」、「三六九等(いろいろな等級)」、「十八般武艺(武芸十八般)」などである。「百、千、万」も「多い」という意味であり、例えば、「百家姓(実は数千家がある)」 、「千家詩(ただ二百二十四首である)」 、「万歳(実際には百歳の人も少ない)」などである。

日本語では、「三、百、千、万」も中国語と同じく「多い」という意味である。以下の例を見ればよくわかるだろう。「悪妻は百年の不作」、「千里も一里(恋しい人の所へ行く時は、遠い路も短く感ぜられて苦にならない)」、「一事は万事(一事を見れば、他のすべての事を推察できる))」。もちろん、日本語の中では、三にもときとき「少ない」という意味がある。「公儀の三日法度」はその一例である。しかも、これは主流ではなく、三は「少ない」という意味を表す場合は少ない。「七、八」は日本語の中では、「多い」という意味を表している。例えば、「男子は家を出すれば七人の敵あり」、「浮き沈み七度(人生には浮きたり沈んだりすることが多い)」、「手八丁口八丁(することもしゃべることも達者なこと)」、「岡目八目(他人のしていることを脇から見ていること)」など。そのほか、「多い」を意味する数字はよくある。例えば、紙子四十八枚、江戸は八百八町などである。

以上の例によって、日本語と中国語の中では、特定の数字で無限の数や概念などを代表することが多いということがよくわかる。この点では、日本人と中国人の民族共性がよく見える。これは有限の数字を利用して世界の無限なことを表す知恵である。

三、吉と忌

各民族の言語や習慣などの多様性によって、各民族は数字に対する感情も各自の特色がある。その中で、中日は吉と忌についての概念は大変異なる。

中国語では、広東話によって、「八」は「発(儲かる)」と同じ発音で、よく人気のある数字である。結婚や親友の訪問やクラスメートのパーテイーなどはいつも「八」に関する期日を選ぶ。「四」は「四季発財(一年中はお金をたくさん儲かる)」で、「六」は「六六大順(一切は順調に進む)」で、「九」は「久」と同音して「永久」を象徴し、「四、六、九」も吉祥の数字と見られる。そのために、中国食卓の上では、料理四つにスープ一つの場合が多い。

日本語では、「八」は下方が開いてしっかりとしている形をするので、日本人に好まれている。日本古代の書物である『古事記』、『日本書記』の中では、「八」はよく出た。明治維新以後、日本軍国主義の指導者は「八」を盲信する状況に陥った。1885年、日本政府は強大な軍事力によって、清朝の政府は『天津条約』を強引にサインされた。選定された期日は四月八日であった。1904年、日露戦争中、日本軍艦は旅順口と仁州のロシア軍艦を攻撃する期日は二月八日であった。1931年、日本帝国主義は悪名高いの九·一八事件を起こした。これらの史実によって、日本人は古代から「八」を崇拝していることがよくわかる。しかも、中國人と反して、日本人は「四」「六」「九」が好きではない。なぜなら、「四」は「死」、「六」は「碌」、「九」は「苦」と同音しているからだ。そのために、アメリカのあるゴルフメーカーは四つのボールを一組みにして日本に販売するとき、売れ行きがうまく行かない。また、日本の病院や旅館などのところには「四」と「九」の部屋番号がない。話によると、羽田空港には四番の広場がない。野球運動者は四番と九番のトレーニングウェアを着ない。新年の三日前の「三賀日」はお餅を作って新しい年を迎えるのである。しかし、12月29日は例外である。29日に作るお餅は「苦餅」と見られて、食べるなら来年は苦しい年となると思われる。古代日本の断頭台は最高の第十三級にあって、第十三級に歩くと頭を切るのを意味するので、日本では「十三」も不吉の数字である。

人類の文化史を開いて読むと、数字は言語、文化の一部分として、時代の発展につれて進んでいる。中日はある数字に対して好き嫌いは違っても、「八」は時間の流れともせずに、ずっと中日の愛好の数字という役を演じているのである。

四、奇数と偶数

みんなが知っているように、中国は古代から偶数を崇拝し、偶数は吉祥の象徴だと思っている。そのために、結婚祝い、親友の訪問、お見舞いなどの時、人々は偶数のプレゼントを贈る。そうしないと、常識がない人だと見られる可能性があるのだ。前文が書いているように、中国人は「四、六、八」という偶数が好きである。中国人は祖先を祭るとき、食卓の料理はてっきり奇数である。例えば、「七、九、十一、十三、十五」皿の料理を準備するのだ。奇数は祈るという気持ちを示す。

こいうところでは、日本人は中国人と全然違って、奇数を崇拝している。日本のカレンダーを開いてみると、日本の十三の法定の祝日の期日はほぼ奇数である。その中で、11月15日の「七五三の祝」は日本人の奇数好きということをもっとも明らかに示している。男の子は三歳或は五歳、女の子は三歳或は七歳となると、この日に盛装して親につれて神社にいって、過去の健康成長を祝って、将来の順調を願う。茶道会の儀式はとても複雑で、もっとも正式の場合で、正午の茶道は「茶事七式」がある。茶室の庭園に置いた石も奇数で、大きさと見た目が異なって、七枚から十五枚がある。戸々の仏壇の花瓶には、「仏、法、僧」三枚の供花を挿している。日本伝統の副食も「醤油、漬物、関東煮」三大料理がある。その外、「三関」「日本三景」「三味線」「五重の塔」「五節句」「七宝焼」などのように奇数で物を数える例は数え切れない。

中国人は古い時から「好事成双(いいことはよく二つある)」という民族心理をもって、偶数文化は代代と伝わっていた。それで、日本人は民族風俗の影響下、奇数文化の民族だと言ってもいいであろう。

五、「好き嫌い」の原則

中国人と日本人とでは数字の「好き嫌い」は違うが、「好き嫌い」の原則は大体同じである。第一は数字の発音だ。「4」を忌み嫌う原因は「死」の発音と同じからで、日本の電話番號の中で一番嫌われるのは「8342(破産しに)」と「4279(死に泣く)」だ。中国では「521」の発音は「我爱你」に似ているから「521」は愛してるという意味になる。第二は実用の意味がある。携帯のメールでは「084(オハヨウ)」は「おはよう」に、「39(サンキュウ)」は「ありがとう」になる。このような例はたくさんある。例えば、化粧品会社の電話「0120-469768(白くなるわ)」、自動車保険会社の電話「0120-840840(走れ走れ)」、外国語学校の電話「0120-324929(身によく付く)」、おむつを売る会社の電話「0120-041062(よいおむつ)」、このような番号は覚えやすい。第三は人間の心理だ。意味がよくない数字を忌み嫌って、縁起がいい数字を好む。中国人は電話番号と自動車番号を選ぶ時8と6が好きだ。8と6には金運に恵まれて、何でも順調に進むという願いがある。

六、まとめ

本稿は四つの方面から、中日の数字観の異同を比較してから、日本人の特別な数字観を検討した。中では、中国古代文化の浸透もあり、日本固有の発音の影響もあり、欧米の宗教文化の衝撃もある。それに、日本文化の開放性と和の意識もよく見られる。これらは今後日本文化研究する時によく注意すべきものだと思う。

参考文献:

[1]万峰.日本近代史[M].北京:中国社会科学出版社,1981.

[2]王涛等.中国成语大辞典(辞海版)[Z].上海:上海辞书出版社,2007.

[3]包央.中日数字文化漫谈[J].浙江:浙江师范大学.日语知识,2005.

[4]林娟娟.论中日数字文化的民族特性[J].成都:四川大学学报(哲学社会科学版),2004(S1).

[5]秦明吾等.日语语言文化研究(第二集)[M].北京:旅游教育出版社,2004.

[6]李素桢.中日文化比较研究[M].东京:文化书房博文社,1999.

[7]金田一京助等.新明解国语辞典[Z].东京:三省堂,1989.

[8]成良斌.中国数字崇拜与禁忌透视[J].武汉:华中理工大学学报,1995.

日本语文法の讲义 篇4

文には2種類あります。述語文と、未分化文です。

述語文は、述語のある文です。人間は、表したい事柄の内容・性質を考えて、事柄をいくつかの種類に分け、それぞれに適当な述語を使って表現します。

「事柄の種類」というのは、ものとものとの関係か、ものの性質か、ものの動きかなどです。

それを表す述語には、名詞述語、形容詞述語、動詞述語の3種があります。

述語文は、一つの事柄を全体的に未分化なままで表すのではなく、述語と補語の組み立てによって分析的に表します。

述語文の成立条件としては、1、内容からまとまった意味を表しているもの

2、外形上から終わりで音が必ず切れるもの

3、陳述があるもの

文末には客体的表現に対して主体的表現が必要です。それにより、文末は断定、否定、推量、命令,意志、希望などの形になります。

水沢恵子なら、今朝出て行ったよ。(断定)

いいえ、そんなことはありません

(否定)

北海道を脱出するには、それ以外に方法はないだろう(推量)

田中君、走れ!

(命令)

お差支えがなければお伺いしたいんですが。(希望)文節とは日本語の言語単位の一つで、文を実際の言語としてできるだけ細かく句切った最小の単位です。

木曽路は すべて 山の 中で ある(5文節)

花が 美しく 咲いた

(3文節)

火事!

(1文節)

文節の句切り方

言葉を話すとき、文の途中に「今日はネ、ぼくはサ、学校 をネ、休んだヨ」というように「ネ、サ、ヨ」などを入れることが多い。

ぼくはネ、疲れてサ、もうネ、歩けないヨ

「歩けないヨ」は歩けネないヨ」では意味が壊れてしまいますから、文節とし て分けられません。補助動詞は1文節になれますが、助詞、助動詞はなれません。一般的に文節は文より小さく、単語より大きい言語単位です。これは膠着語とい われる日本語の特徴の一つです。

動詞文は、名詞文や形容詞文にくらべて、いろいろな補語(Nに/Nを/Nへ/Nと、など)をとりえます。それによって、現実の様々な事象を表わすことができます。

それは、言いかえると、動詞文は、形容詞文などのようにある人や物のことを述べるだけでなく、複数の人・物・場所などが関与する複雑な事象を述べることができるということです。それによって、表現される事柄の範囲が格段に広くなるのです。そこを詳しく述べることは、文法の重要な課題 の一つです。

さらに、名詞文や形容詞文と比べると、時の表現が細かく使われます。その事柄が瞬間的なことか、持続していることかという違いも表せます。

動詞文の表わす意味は、個別の動作や、習慣的な動作、将来の予定された行動、話し手の意志的な行動、もの・人の存在、状態など、さまざまです。

「動」詞というのは、本来動きを表わすものだということでしょうが、動きだけではなく、存在や状態・関係なども表わします。次の文は「関係」の例です。

標準語と東京方言は尐し違います。

人の意志的な行動について述べる動詞文では、「命令」や「依頼」の表現や、「意志」を積極的に表す表現もあります。これらは名詞文や形容詞文にはないものです。また、「受身」や「やりもらい 」のような、動詞文だけに使われる「複合述語」も多く、日本語教育の観点から考えても、あるいは日本語の文法体系という点から考えても、動詞文は大きな広がりをもつ文型です。

修飾語など

基本述語型を拡張する方法には、二つの方向があります。

文の成分に対する修飾 :

補語に「連体」修飾語を付けていくこと

述語に「連用」修飾語を付けていくこと

文の成分自体の拡張 :

補語の名詞を「名詞句」に拡張すること

述語を「複合述語」に拡張すること

修飾:連体と連用

修飾語は、名詞を修飾する「連体修飾」と、述語を修飾する「連用修飾」の二つがあります。たとえば、その火事は、やってきた消防車によってすぐに消し止められた。

「その」は名詞「火事」を修飾する連体修飾です。「やってきた」も「消防車」を修飾する連体修飾 です。(ただし、こちらは「やってきた」が「節」と見なされるので「連体節」で、この文全体は「複文」 となります。)

そして「すぐに」は述語である「消し止められた」を修飾する連用修飾です。連体修飾となるのは、名詞+「の」 私の・未来の・こっちの →「NのN」

連体詞

この・大きな・いわゆる →「修飾」

形容詞

きれいな・大きい →「形容詞文」

動詞

読んだ(本)→「連体節」

などです。

名詞文の名詞に連体修飾語がいくつも付いた例をあげます。

あそこの青い服の人は、東京の大きな日本語学校の有名な先生です。

連用修飾の代表的な形式は副詞です。副詞は下位分類がいろいろあります。

副詞

ゆっくり歩く

(様子)

とても大きい

(程度)

短く刈る

(結果)

たくさんある

(数量)

さっき来た

(時)

あいにく雤だった

(評価)

たぶん来るだろう

(陳述)形式名詞による句

(連体)健康のための体操

猫のような目

2(連用)家族のために働く

鳥のように飛ぶ

数量表現

(連体)

三冊の本

10キロの道

(連用)(本を)三冊買う(山道を)10キロ歩く

「擬音・擬態語」も多くが連体修飾になります。

がたがたの体

つるつるの床 指示語

(連体)この そんな ああいう

あのような

(連用)こう そんなに

あのように

疑問語

(連体)どの どんな

どういう

どのような

(連用)どう

どんなに

どのように

「-いう」「-ような/ように」の形は複合的な形式です。

三 複合述語

[テンス・アスペクト]

まず、時間に関する表現です。文で表される事柄の時点と、ことばを発した時点との前後関係を 表す「テンス」、その事柄の時間的性質に関する「アスペクト」があります。

テンス(過去形/現在形)

した/する

しました/します

長かった/長い

きれいだった/きれいだ

夢だった/夢だ

アスペクト(継続/状態/開始/終了、など)

する/している/してある/しはじめる /しおわる

[ボイス]

次に、文の事柄を誰の視点から表現するか、あるいは誰の意図によって引き起こされたと見なすか、などの表現のしかたによって、補語に付く「格助詞」が変えられることがあります。これを「ボイス」と言います。

受身 猫が魚を食べる/魚が猫に食べられる

使役 猫が魚を食べる/猫に魚を食べさせる

「受身」「使役」のほか、「可能」「自発」「やりもらい」などの表現もボイスのところで扱います。

可能

私は魚が食べられない

自発

ふるさとのことが思い出される

やりもらい 英語を教えてあげる/くれる/もらう

ボイスも動詞述語のみに見られる文型です。

[ムード]

複合述語の後半は、「ムード」を表す形式を扱います。たくさんの文型があり、話し手の表現意図をさまざまに表し分けます。聞き手に対する働きかけを表すものと、述べる事柄に対するものとに大きく分けられます。

聞き手に対する働きかけなど

依頼

書いてください 書かないでください

命令

書け

書きなさい

勧誘・意志 書きましょう

書こう

勧め・忠告 書いたほうがいい 書くといい

禁止・許可 書いてはいけない 書いてもいい

必要・不必要

書かなければならない

書かなくてもいい

希望

書きたい

事柄に対する表現態度

推量・伝聞 書くだろう 書くそうだ

断定・確信 書くにちがいない 書くはずだ

その他

書くことだ

書くものか

書かない

[複文]

以上は「単文」の話でした。つまり、一つの文の中に述語が一つの文です。一つの文の中に述語が2つ以上ある文を「複文」と呼びます。複文の多くは単文の要素の拡張と考えられます。例えば、次のように対応します。

単文の要素

複文の中の節

名詞

名詞節

連体修飾

連体修飾節

連用修飾

連用修飾節

名詞文の2つの名詞に連体修飾の節が付いた例。

私が英語を習った先生は、いま私が勤めている大学 の卒業生です。

上の文は、次の単文と基本的な部分は同じです。

あの先生は、私の大学の卒業生です。

動詞文の補語にも、連体修飾節が自由に付きます。

帰ってきた父は、テレビを見ていた私に駅前で見た事故のことを話した。

名詞文の名詞のところに「節」が入る場合。

私の仕事は日本語を教えることです。

即ち:私の仕事は日本語教育です。

人を愛する(という)ことは、人を信じることです。即ち: 愛は信頼です。

形容詞文・動詞文の補語の名詞のところに、「~の」「~こと」の形の「名詞節」が入った例。

私はスポーツを見るのが好きです。

即ち:私はスポーツが好きです。

生徒に来週の土曜は休みであることを伝えた。

その窓から、野鳥が飛んでいるのが見えた。

連用修飾の節は、種類がいろいろあります。一部の例をあげます。

よく考えてから、答えます。

理由

よく考えたから、わかります。

条件

よく考えれば/考えたら、わかります。

目的工学を勉強するために、日本に来ました。

様子

窓を開けて、空気を入れ替えました。

程度

かばんに入るだけ、詰め込みました。

並列

私たちが2階に住み、両親が1階に住みました。

名詞文 「AはBです」(「BはAです」も)の場合、「は」の後ろが聞きたいこと、言いたいこと 「AがBです」の場合、「が」の前が聞きたいこと、言いたいこと「AはBです」の場合、疑問語は「は」の後にくる。ハ・ガ文

このハとガが一つの文の中に出てくる文型があります。日常的によく出てくる文型で、例えば次のようなものです。

1 あの人はご主人がドイツ人です。

2 このビルは1階がレストランです。

3 カキ料理は広島が本場です。

4 私は仕事が趣味です。

このような文型を特に「ハ・ガ文」と呼びます。この「が」は、前に「NがNです」として述べたような「焦点のガ」ではありません。

この文型は、主題の「Nは」に対して、「NがNです」の部分が解説になっています。

名詞文のハ・ガ文は、それぞれの名詞の意味関係の型によって2つに分けられます。

全体を「AはBがCだ」と記号化すると、「AのB」という意味関係を含むもの(例1・2)と「AのC」のもの(例3・4)があります。

1’あの人のご主人はドイツ人です。

2’このビルの1階はレストランです。

3’カキ料理の本場は広島です。

4’私の趣味は仕事です。

名詞の修飾語

NのN

「NはNです」のそれぞれの名詞は、修飾語を付けることができます。名詞が名詞を修飾する場合、「NのN」の形になります。

その表す意味関係はさまざまです。

私の本・手(所有関係)私の姉・友達(人間関係)

机の脚・引き出し(部分)机の大きさ・重さ(物と性質)教室の机・窓(所在地)日本の自然・天気(場所)日本のテレビ・小説(生産国)

教室の中・隣(位置関係)

スポーツの前・後(時間関係)英語の新聞・辞書(使用言語)経済の本・話(内容)木の机・紙の箱(材料)三人の学生・2本のペン(数量)医者の山田さん(職業・立場)ひげのおじさん(特徴)[自同表現]

次のような表現を自同表現と呼びます。

やはり子どもは子どもですね。考えることが幼いです。

小さくても辞書は辞書です。役に立ちます。

不満はあるかもしれませんが、決定は決定です。守ってください。

前の名詞は、その名詞が指すもの・ことがらそのもの(「外延」)を指し、後の名詞は、その名詞が持つ性質・特徴の面を表します。

「辞書は辞書です」の場合、前の「辞書」は、「辞書というもの」手に取れるような形を持ったもの、であり、後の「辞書」は、それが持つ性質、つまり、「言葉がたくさん並べられていて、説明があって、、、」ということを示しています。

形容詞文 ハ・ガ文

形容詞文で「Nが」は「主体」「対象」「部分・側面」を表します。「対象」「部分・側面」の場合は、「主体」の「Nは」があるので「NはNが」の形になります [主体]

形容詞文の性質や感情の持ち主、主体は「Nが」で表されます。つまり、すべての形容詞が「Nが」をとるのですが、「ハとガ」のところで見たように、主題文になるので、ふつうは「Nは」になります。

「疑問語+ガ」や、現象文の場合には「が」が使われます。

どれがおいしいですか。

青い空がとてもきれいです。

複文の一部になった場合、主題文ではないので「が」が現れます。

この方法は正しい。

この方法が正しいことは、みんなが知っています。

[対象]

私は今時間が欲しいです。

あなたはどこが痛いですか。

この曲がとても好きです。

「対象」が「Nが」で表され、「ハ・ガ文」になります。これは感情・感覚形容詞のところでも述べましたが、そのほかに次のような能力・巧拙に関するものがあります。

彼女はテニスが上手です/下手です。

吉田さんは暗算が得意です/苦手です。

この子は動物の絵がなかなかうまいです。「その対象に関して~」という意味関係です。

[部分・側面]

もう一つ、名詞の「ハ・ガ文」に近いもので、「Nは」の部分または側面を表す「Nが」があります。多くの形容詞がこの「Nが」をとることができます。

象は鼻が長いです。

女は髪が長いです。

スピーチは終わり方が難しいです。

この辞書は紙が薄いです。

以上の例では「Nが」がないと、文が成り立たないか、意味が違ってしまいます。この「Nが」を「部分」とします。

それに対して、次の例では「Nが」がなくても同じです。

ヘビは身体が長いです。(ヘビは長いです)

彼は性格が素直です。

「丸い」とは「形が丸い」ことですし、「赤い」とは「色が赤い」ことです。このよ 6 うに形容詞が表しているものの側面を「Nが」で表すことがけっこう多くの形容詞でできます。これらの「Nが」を「側面」と呼んでおきます。

「部分」と「側面」は、述語との関係という点では「主体」と同じです。

「Nに」

「Nが」以外でいちばん多いのは「Nに」です。表す意味の面からいくつかに分けられます。

[存在の場所]

日本に火山が多い/平野が尐ない/核兵器がない

これは、動詞文の中の「存在文」に近いものです。

形容詞文は基本的には主題文ですから、上のような「は」の使われない形は、そのままでは安定しません。

?日本に火山が多いです。主体の「火山」、場所の「日本」のどちらかが主題になると安定します。

日本には火山が多いです。

火山は日本に多いです [対象](に対して)

この用法は種類が多い。

対人的な態度:

人に優しい/親切だ/甘い/厳しい/失礼だ 物事に対する態度: 仕事に熱心だ/その意見に反対だ 能力・性質

計算に強い/法律に詳しい/熱に弱い

「に対して・に関して」などの意味になります。

対人感情 :山田さんに申し訳ない/悪い

これは主体が話し手に限られます。×田中さんは山田さんに申し訳ない。[基準]

これも、何についての基準かによっていくつかに分けられます。①比較の基準

これに 等しい/そっくりだ(これと)

「Nと」で置き換えることができますが、「Nと」とは違って比較の仕方が相互的ではありません。

息子は父親にそっくりです。

君の答えは正解に近いが、尐し違う。②主観的評価の基準(にとって)

可能性・難易:これは私には 無理だ/難しい/不可能だ/やさしい 不適合: この服は私には尐し 大きい/そでが長い/派手だ

適切さ:この仕事は君に ぴったりだ/ふさわしい/適当だ 「君はこの仕事に」「この仕事は君に」のどちらも可能です。「Nには」としなくても安定します。

必要性:彼女はこの仕事に 必要だ/大切だ/不可欠だ ③距離・位置の基準(に対して)

駅に近い(駅から/と)

地面に垂直だ

動詞文

動詞はその名前が表すように、一般的には「動き」、すなわち人の動作や物の運動や変 7 化(これら全部を広く「動き」と考えます。「動き」に対立する概念は「状態」です)を表します。

人の動作:歩く・食べる・作る・こわす・行く・会う、など

人の変化:生まれる・死ぬ・やせる・育つ・なる、など

物の運動:落ちる・流れる・降る・飛ぶ・光る、など

物の変化:伸びる・腐る・壊れる・変わる・増える、など

動詞の中には、「動き」を表さないもの、すなわち広い意味で「状態」を表すものがあります。

本があります。

あの人はテニスができます。

私は英語がわかります。

これはあれと違います。

彼は私のいとこに当たります。

存在・能力・関係など、いくつかのグループにまとめることができます。

動詞文の「は」と「が」 「が」は話を始める時に状況や場面を設定したり、現在の状況をそのまま述べたりします。そして、その「が」の文に出されたものの中で話の中心となるものをとりあげて、次の文からの主題にする時、「は」を使うのです。このような「が」は中立变述の「が」と呼ばれます。そして、その文を現象文と呼びます。現象をそのまま述べた文、ということでしょう。

初めの「が」の文に出ていない名詞に「は」が付くこともあります。

「おや、雤が降ってきた」「え?かさは持ってきてないよ」

このような場合は、「雤→かさ」の意味の連想が働いて、「かさ」にも「は」がつけられるのです。一つのものが話に出された時、それに次の文から「は」がつけられるだけでなく、それと関連のあるものも「は」をつけられる資格、言い換えれば主題になる資格ができるのです。これはごく一般的な現象です。

あれはうちの猫だ。名前はまだない。(猫の名前は~)

また、何か話を始める時、話し手自身と聞き手、つまり「私」と「あなた」は、初めから「は」がつけられます。その場面に「すでに出ている」扱いになるのです。それを「私が~」と言うと、「他の人でなく、私が」という「が」の持つもう一つの意味になってしまいます。

この、排他的な意味合いの「が」を「指定」の「が」と呼ぶことにします。

名詞文の「が」は、実はこの指定の「が」です。疑問文の疑問の焦点(誰が、何が)にもなります。形容詞文の場合は、指定の「が」と、現象文の場合の中立变述の「が」の両方があります。

動詞文の場合も、疑問の焦点となる「が」は、指定の「が」です。

「誰が来ましたか」「田中さんが来ました」

同じ「田中さんが来ました」でも、次の場合は中立变述です。

昨日、私のうちへ田中さんが来ました。田中さんは、・・・ 話の始め方・続け方

上でも触れたように、「Nが」は、話を新しく始める時、話の状況・場面を設定する時に使われます。言い換えれば、文全体がその文脈に新しく導入されるとき「Nが」が使われます。「Nが」で話を始め、次にその中で話の中心になるものを「主題」として 8 とりあげて話を続けます。そのとき「Nは」で受けて、それが主題であることを示します。

去年、ソウルでオリンピックが開かれた。このオリンピックはアジアで開かれた2度目の・・・

昔々、ある所におじいさんがいました。おじいさんは、・・・

「Nは」は、前とのつながりを保ち、文章をまとまりのあるものにします。

また、文脈の中で前に出ていない名詞でも、「これ・このN」のような場面指示のもの、「日本人・果物」のような総称的なものは、談話の初めから主題にできます。

[アルとイル]

「ある」と「いる」の使い分けを考えます。その基本は、「動物」対「それ以外のもの」です。しかし、自力で動くとみなされるもの、電車やバスやエレベーターなどは「いる」を使う場合がよくあります。

(ホームを駆け上がって)ああ、よかった。まだ電車がいました。

エレベータは今どの辺にいるのかな?ああ、5階か。

逆に、集団の中の特徴ある一部分、というような意味の場合は、人についても「ある」を使うことがあります。尐し書きことば的です。

学生の中には、図書館を昼寝の場と考えるものがある。

次の「ございます」は、「います」ではなく、「あります」の尊敬語です。

まだ疑問をお持ちの方はございませんか。

この用法は、一人一人の個人が問題なのではなく、集団の中のある集団、というとらえ方をするために、「いる」を使わないですませるのだと考えられます。もちろん「いる」を使うこともできます。

もう一つ、人に「ある」も使える場合があります。「所有・所属」を表すとされる場合です。

彼は娘が二人あります。

「娘」は「金」と同じく「ある」ものなのです。「いる」も使えますが。

NというN

この形がよく話題として取り上げられるのは、次のような場合です。

1 さっき、山田さんが来ました。

2 さっき、山田さんという人が来ました。

1のほうは、話し手は「山田さん」を知っているが、2の場合は初めて会った場合だ、という違いがある、というのです。上の例ではそうなのですが、次の例では話し手はそれをよく知っていて、反対に聞き手のほうが知らないだろう、と考えて「という」を使っています。

私の友達に山田山男さんという人がいます。結局、「という」は前の名詞を後の名詞の名称として導入する働きを持っている、ということになります。わざわざ名前を「導入」(新しく持ち出す)ということが、文脈によって「知らない」ことを暗示します。同じ

山田さんという人を知っていますか。

でも、話し手が知らない場合は「知っていたら、どんな人か教えてください」という意味になりますし、話し手が知っている場合は「あなたも知っていると話が早いんだが、」という意味合いになることもあります。

格助詞相当句概観

格助詞相当句というのは、格助詞のような働きをする語句のことです。格助詞相当句の役割は、格助詞だけでは表わせないような動詞と名詞の意味関係を示したり、多義的な格助詞の一つの意味をはっきりさせることなどです。次の例を見てください。

1 日本の経済について話す

2 その提案に対して反対する

「話す」は[人が人にことを話す]というような動詞型ですが、3×日本の経済を話す。とは言えません。「を」を使いたければ、4 日本の経済のことを話す

とするしかありません。そのかわりに、1のように「~について」を使う言い方もよく使われます。このように、「~について」のような格助詞相当句は、格助詞の足りない部分を補う働きがあります。これに対して、2のほうは単に「Nに」としても同じです。

2’その提案に反対する

格助詞「に」はきわめて多義で、逆に言えば、それ自体ははっきりとした意味合いを示しにくいものですから、「に対して、に関して」などを使って意味を明確にするのです。

5 その提案について、意見を言う

その提案に関して、意見を言う

その提案に対して、意見を言う

「文体の違い」によって格助詞と使い分けられるものもあります。

講堂で卒業式を行います。

講堂において卒業式を行います。

これは、特に意味的な差があるわけではなく、文体を多尐硬く、重くするためだけのものです

ハ・ガ文のまとめ 「ハ・ガ文」とは、「AはBが~」の形の文、つまり一つの述語に「Nは」と「Nが」の両方がこの順で使われている文のことです。当然、主題文です。

「ハ・ガ」文は「Nは」と「Nが」の二つの名詞の関係の違いによって、次のA・B二つの型に分けられます。

A 1 私は彼女が好きです。

2 あなたは中国語ができますか。

B 3 あの人は奥さんが外国人です。

4 象は鼻が長いです。

5 鼻は、象が長いです。(耳は、ウサギが長いです。)[Aの型:ハ・ガ述語]

Aの型は、例1・2のように、ハ・ガの型をとるのがふつうであるような述語、つまり「Nが」を補語としてとるような述語によるものです。形容詞と動詞ですが、動詞の場合ははっきりした特徴があって、この型になるのはすべて状態を表わす動詞です。これらの述語は「ハ・ガ述語」と呼ばれることもあります。ふつう、初級教科書に出てくるのは次のような述語です。

動詞 できる、わかる、ある(所有)、要る ナ形容詞 すきだ、きらいだ、じょうずだ、へただ、とくいだ、にがてだ、ひつようだ

イ形容詞 ほしい

感情・感覚形容詞(楽しい・まぶしい)

可能動詞(読める・食べられる)

V-たい(食べたい)

これらの述語の「Nが」は、ふつうの他動詞の「Nを」と性質 が近いものと見なして、「対象」とします。

私はこの問題がわかります。

私はこの問題を知っています。

彼は音楽が好きです。

彼は音楽を好みますか。

[Bの型:NのN]

Bの型は3と4の例のように、「Nが」の名詞が「Nは」の名詞に何か密接な関係のある名詞、例えば体の部分や持ち物、家族などである場合です。形容詞の文に非常に多く見られる型です。例5は「象の鼻」の「鼻」のほうが取り出された場合です。これも意外によくある形です。

B型の「ハ・ガ」文は、上のA型の場合のような、他動詞の「ヲ」に当たるものではありません。「NはNが」の関係は、多く「NのNは」に言いかえることができます。

あの人の奥さんは外国人です。

象の鼻は長いです。

もちろん、言い表されていることは尐し違います。例3・4と、これらの違いは何を主題としているかの違いです。例3は「あの人」について「奥さんが外国人だ」と述べていますが、こちらは「あの人の奥さん」が主題です。動詞文の例を付け加えておきます。

彼は、奥さんが入院しています。

彼の奥さんは入院しています。

「AのB」のBが取り出された例

S社の英和辞書はいいです。

S社は英和辞書がいいです。(ドイツ語の辞書はよくないです。)

英和辞書はS社がいいです。(T社はよくないです。)かっこの中は、頭の中でされる事柄の例です。

一口に「は・が文」と言っても、以上のように、A型とB型をはっきり区別することが大切です。A型は、「NのN」にはなりません。

×あなたの中国語はできますか

また、次の例は属性形容詞で名詞同士は「彼の足」の関係ですが、「足が速い」全体で「彼」の属性を述べている(特徴づけている)ので、「彼の足は~」とは言いにくくなります。つまり、Aの型の例外です。

彼は足が速いです。

?彼の足は速いです。

[主題になる名詞]

次に、どのような名詞が主題になりうるか考えてみましょう。

1、文脈、話の流れの中で既に出ている名詞は「は」で受けられます。

きのう火事があった。その火事は、・・・。2、それから、名詞文のところでも述べたように、話し手と聞き手、話の現場にある物、などは「Nは」の形になりやすいものです。

私は、・・・。これは、・・・。

3、また、話し手と聞き手の共通の知識となっている人、物なども主題として「は」をつけることができます。

(部屋に入ってきて)こんちにちは。田中さんは来ていますか。

4、それに、当然知っているだろうと思われるような社会的な常識に類する事柄。

ハンガリーの首都は何と言ったっけ。

中国と日本の绊 演讲稿 日语 篇5

——異文化交流の大切さ

大学に入ったばかりの頃、なぜ日本語を習うかとよく聞かれた。そういう時、私はいつもあやふやな返事をしていた。何度も一体何のために日本語を選ぶかと自問したことがあった。正直に言えば、その前、いかにもこういうことはじっくり考えられていなっかたようだった。自分の将来を日本語を学ぶということに賭けて本当にいいのかという問題がずっと心に纏わり付いていた。しかし、日本語を習っているうちに、私は多分答案を見付けるようになろう。

日本語を専門とした前、日本というと、私は大部分の中国人のようにまず中日戦争を思い出すかもしれない。さぞ中日戦争を題材とするドラマや映画なんか見ることが多いだろう。また、狭い日本は世界中に軽視されない国力を持っている。あるいは、まじめな日本人はいつもおじぎが好きだという印象だけを思い浮かべる。今思うに、なんと目が浅い。

さて、もし日本の発展歴史に溯るとしたら、日本が昔から世界の先進的な外来文化を摂取しながら、消化し、融合し、自国の文化を発展させてきたと考えられている。このうちに、中国と日本の絆が深いということを明らかに分かる。例を挙げると、最初日本語は漢字を借用して表記されてきたということをよく知られている。今になっても,漢字で表記することは日本語で動かさない地位を占めている。ここから見れば、漢字の伝来によって日本語は中国語に強く影響されているように見える。

それにしても、近代に入ると、漢字は真っ先に経済を発達させてきた日本から当時遅れていた中国へバックされ始まった。例えば、中国で今まで広く使われている「経済」、「政治」、「法律」など言葉はその時こそ取り入られたらしい。さらには、今日社会学と人文科学においてこのような名詞と専門語は70%を占めているそうだ。数が本当に驚くほど多い。こういう言葉返しの現象は、日本のアニメーションを見るとか、中国人に書かれた漫画雑誌を読むとか、私がしみじみと感じられる。今日本語の中で「腹黒い」という言葉の漢字、すなわち「腹黒」は中国語で大きな人気がある言葉だ。その他、「次元」「写真」「人気」「萌える」などがたくさん中国語に現われるようになる。その中、直接そのままに取り入られる言葉があるが、訳してから借用される言葉もある。

このような言葉はある程度から中国語を充実する。それに対して、悪くないのではないかような気がする。それは文化のぶつかりまたは融合だと言えよう。ここに言語は中日の文化交流にとってかけ橋の役割を果たしているのだ。知らずうちに、つながりがますます深くなってくる。一方、このような交流は各自既存の文化を富み、お互いの発展を促すと思う。それなのに、伝わられてくる文化はもとより、大体同じだが、ずれも生じるに違いない。だから、使う時、注意しなければならない。

実は、言語だけでなく、中国は日本と多面から交流することができる。先日、中国政府主催の「中日国民交流友好会」開幕式が東京の渋谷に行われた。それは両国の友好関係の歴史に新しいページをめくり、世界と未来に目を向け、中日関係を扱う努力をする表現だように思える。中日の絆がさらに結ばれてうちに、それをきっかけに、我々日本語を勉強する人、両国が互いの文化を理解し、友好関係を築くことを目指してささげる。これからそのためにがんばる。

日本の食文化 篇6

本市有历史博物馆吗?

この町に(歴史)博物館がりますか。;このまちには(れきし)はくぶつかんがりますか。

博物馆几点开门(关门)?

博物館は何時に開き(閉まり)ますか。;はくぶつかんはたんじにあき(しまり)ま他现在是个学生。彼は今学生です。;かれはいまがくせいです。

我对绘画感兴趣。

絵画にきょうみを持つています。;かいがにきょうみをもつています。我们有现代画家的画。

こちらには現代画家の絵があります。;こすか。

博物馆每天都开门吗?

博物館は毎日開いていますか。;はくぶつかんはまいにちあいていますか。到哪里能买到本博物馆参观手册。

どこでこの博物館の案内書が買えますか。;どこでこのはくぶつかんのあんないしよがかえますか。到哪里能买到目录?

どこで目録が買えますか。;どこでもくろくがかえますか。国家艺术馆在哪里?

国立芸術館はどこにありますか。;こくりつげいじゆつかんはどここにありますか。蜡象博物馆在哪里?

ろう人形館はどこにありますか。;ろうにんぎようかんはどこにありますか。门票多少钱?

入場券はいくらですか。;にゆうじようけんはいくらですか。您有齐白石的画吗?

斉白石の絵はありますか。;せいはくせきのえはありますか。您有印象派的画吗?

印象派の絵はありますか。;いんしようはのえはありますか。他不喜欢这个题材。

彼はこの題材は好きではないといっています。;かれはこのだいざいはすきではないといっています。他生活在什么年代?

彼はどの年代の人ですか。;かれはどのねんだいのひとですか。他是哪个学校的?

彼はどの学校の学生ですか。;かれはどのがつこうのがくせいですか。

ちらにはげんだいがかのえがあります。我们有中国人和日本人的画。

こちらには中国人と日本人の絵があります。;こちらにはちゆうごくじんとにほんじんのえがあります。我能买到复制品吗? 復製品が買えますか。;ふくせいひんがかえますか。

我喜欢这幅画。この絵が好きです。;このえがすきです。我喜欢这个雕塑。この雕像が好きです。;このちようぞうがすきです。

我想参观博物馆。博物館を見たいです。;はくぶつかんをみたいです。

我想参观摄影展览。

写真展覧会を見たいです。;しやしんてらんかいをみたいです。

我想参观现代艺术博物馆。現代芸術館を見たいです。;げんだいげいじゆつかんをみたいです。我需要日语(英语)导游。

日本語(英語)のガイドが要ります。;にほんご(えいご)のガイドがいります。无人喜欢这幅作品。

この作品の好きな人はいません。;このさくひんのすきなひとはいません。现在展览什么?

今何を展示していますか。;いまなにをてんじしていますか。

意大利(法国)画在哪里?

イタリア(フランス)の絵はどこにありますか。;イタリア(フランス)のえはどこにありますか。

英国(荷兰)画在哪里?

イギリス(オランダ)の絵はどこにありますか。;イギリス(オランダ)のえはどこにありますか。

有艺术博物馆(美术馆)吗?

芸術博物館(美術館)はありますか。;げいじゆつはくぶつかん(びじゆつかん)はありますか。允许拍照吗?

写真をとってもいいですか。;しやしんを展覧は何時から(何時まで)ですか。;てんらんはたんじから(たんじまで)ですか。这是谁的作品?

これは誰の作品ですか。;これはだれのさくひんですか。

这是原作(复制品)吗?

日本の絵文字について 篇7

一、絵文字の定義

絵文字の定義は辞書または資料によって異なる。『デジタル大辞泉』は「 (1) 記録や意志伝達のために用いられる絵画的表現。文字発生の初期の形態で、象形文字以前のもの。 (2) 簡単な絵のような形で、言葉?文字?記号の代わりとするもの。例えば、非常口や禁煙を表すマークなど。 (3) 電子メールやメッセンジャーアプリなどで用いる、1文字サイズのイラストやアニメーションのこと。記号を組み合わせて表情を表す顔文字を含んでいう場合もある。」と述べている。

『日本国語大辞典』において、「文字の初期の形態であり、象形文字以前の段階のものである」というように絵文字を定義した。

『日本国語大辞典』の絵文字の定義はただ、文字のない時代における絵文字についての定義にすぎないと考える。したがって、本稿は主に『デジタル大辞泉』の定義を参考にし、絵文字を以下のように定義してみた:絵文字とは、絵画や図形を手段として、意思の伝達や事物の記録のための記号として用いた文字である。本稿では、携帯電話のコミュニケーションで用いられている絵文字、つまり上記の『デジタル大辞泉』の絵文字定義の3種目のみを取り上げ、論述したい。

二、携帯電話のコミュニケーション

絵文字は現在の日本では携帯電話のメールやパソコンのメールで多用されている。過去、手紙がメッセージ伝達の主な媒体であった。手紙を書くというのは、今となってはやや高度な日本語作成能力が要求される。頭語や時候の挨拶にはじまり、結びの言葉や敬称など、手紙を書くには必要なルールがある。

これに対して、携帯メールは、メッセージの送り手側に手紙を書くような気構えを必要にしない。時間や場所にとらわれず、日常の何気ない会話からちょっとした用事まで、気軽に送ることができる。手紙や携帯メールのそれぞれのよさがあるようだが、今や携帯メールがすでに日常の主なコミュニケーション手段になってしまったのは事実である。

三、絵文字の使用のメリットとデメリット

では、なぜ携帯電話のコミュニケーションにおいて文字の代わりに絵文字を使うのかというと、主に以下のような四つの理由があると思う。一つ目は、絵文字のほうが、喜ぶ、笑う、怒る、泣くなどいろいろな感情表現を簡単で、生き生きと伝えられること。それから、時間や手間を省くこと。例えば、忙しいのに返信しなければならない時、適切な絵文字だけを入れるとそれで済む。返信もすぐできながら、時間もかからない。そして、絵文字は親密な関係を表せること。例えば、あまり見知りではないとき、敬語などを使い、そして、だんだん馴染んでいて、普通体を使うことになり、もっと深く付き合ったら、絵文字を使うようになった、相手が絵文字のメールをいただくと、相手は好意のある人で、もう友達になったように感じたことはあるだろう。四つ目は言葉で言えないが、絵文字を使って相手に伝えられる。例えば、恥ずかしくて両親に「愛している」などのことばを口に出せないが、自分の気持ちをきちんと両親に伝えたい場合、メールも最後にハートのマークを入れると両親が分かるかもしれない。

以上は絵文字のメリットだが、実際携帯メールで絵文字の使用にはデメリットもある。主に以下の三つである。一つ目は、絵文字の互換性のこと。ケータイはコンピュータの内部と同様で、文字の表現に文字コードを使う。日本の文字コードの主流はシフトJISとU nicodeで、D o C o M o、auまたはSoft B ankのケータイでは主にシフトJISとU nicodeを使用している。ところが、ケータイ各社が実装しているシフトJISはJISが定義しているシフトJISを勝手に拡張したものである。漢字やひらがなに関してはほぼJISに沿って実装されているが、絵文字に関してはJISをまったく守っていない。U nicodeについても同様で、ケータイの絵文字の文字コードは、U nicodeの規定に必ずしも合致していない。つまり、本来、絵文字は携帯電話?PH S事業者により仕様が異なる機種依存文字である。そのため原則として、絵文字を含むメールは同一事業者の端末間のみで利用可能である。二つ目は、誤解を与えかねないこと。男女の間でハートを含むメールをいただくと、相手はまさか自分のことが好きだと誤解した場合もすくなくなかろう。三つ目は、絵文字の使い派もいるが、使わない派もいること。男性より女性のほう、年上より若者のほうがよく絵文字を使うという傾向が見られた。しかし、女性や若者といっても、必ずしも絵文字の使い派とは限らなく、個人差も存在する。もし使わない派に絵文字のメールを送ると、逆に悪感を招くかもしれない。

四、おわりに

携帯電話のコミュニケーションで絵文字の使用にはメリットもデメリットもあることを明らかにした。結果として絵文字の使用は一言でよしあしが判断できない。コミュニケーションの本質は相手に自分が何を伝えたいかということである。その場の雰囲気や感情を表現する絵文字コミュニケーションならば、一時的な感覚を共有するコミュニケーションにとって有効だろう。しかし、プレゼンテーションなどの場面では、相手に伝えたい事柄と、それを伝えるための論理化された手段の双方が必要なのである。したがって、絵文字をどう適切に使うのは最大の課題だと考える。

摘要:絵文字は日本では携帯電話のコミュニケーションで多用されている。本稿は日本人がなぜ文字の代わりに絵文字を使うかの理由を探り、絵文字の使用について、メリットとデメリットを考えたい。

关键词:絵文字,携帯メール,コミュニケーション

参考文献

[1]安岡孝一.ケータイの絵文字と文字コード, 情報管理, 京都大学人文科学研究所付属漢字情報研究センター2007.

[2]丸山景子.携帯メール·コミュニケーションのあり方について--絵文字の効果から探る, フェリス女学院大学文学部多文化·共生コミュニケーション論叢 (3) , フェリス女学院大学多文化·共生コミュニケーション学会283-303, 2008.

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